2011年08月23日

持続可能な生活スタイルを支援する政策を

雲仙みはる
みどり議員から薦められた映画を二本観ました。

一本はミツバチの羽音
ドキュメントです
山口県の上関原発反対運動と北欧の自然エネルギー政策を丹念に取材したものです。

なぜこのような報道をマスコミはしないのか。
そこには、上関で自然と共生する派手ではないけれどもしっかりとした生活がたんたんと描かれています。

北欧では風力、波動、地熱など日本のエネルギー資源をうらやみながらも自分たちのコミュニティに一番あった自然エネルギーを活用している姿が描かれていました。

もう一本は、新藤兼人監督最後の作品いなるだろうといわれている一枚のハガキです。
監督自身の体験を元に戦争に駆り出される市民の側からの時代考証となっていました。

戦争への不条理がたんたんと描かれています。ただ、その中で生き残った人々がいかにたくましくいき続けようとしているか、豊かさとはなんなのか、考えさせられる場面が多々ありました。

米が稲からどのような手間暇をかけて変わって行くのか、ガラスを手仕事で張り替える、うすを引く、水をどうやっててにいれるのか、もう一度原点に戻ることで、忘れかけているた原風景を思い出しながら、持続可能社会の原点を観たような感じがしました。

みどり議員、素敵な映画を紹介してくださりありがとうございます。
願わくは、これらの映画で綴られていた持続可能な人の笑い顔が見られるような政策論議をできるよう、次回の質問に向け、たくさんの市民の声を集めてくださいね。



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posted by つなぐ会 at 21:29| つなぐ会

2011年02月21日

思いをひとつに!

平野みどりとくらしを政治につなぐ会 会長 河野恭子

あと7週間で県議選の投票日をむかえます。これは私にとっては3回目の選挙の応援ということになります。一介の専業主婦、かつ高所恐怖症の私。足ががくがくふるえ、マイクを持つ手も震え、演台から落っこちるのではないかと思った一回目。

「平野みどり」県議を応援してくださるお一人お一人のお顔が、やっと見えるようになった 二回目。それでも声が震えました。そして、今回・・・今回の私は涙目で、何をどうお伝えしてよいものやら言葉につまってしまっています。

実はいつも皆さまにお願いして書いていただくご紹介はがき、選挙の準備中はこのはがきの一枚一枚が、一筋の光になるのです。

そこからご紹介の輪がひろがっていきます。人が人と見えない糸で繫がっていることを 何より実感させてくれる、ぬくもりをもったはがきが毎日とぎれなく事務所に届きます。 それは本当にとびあがるような喜びでした。それが事務所で見る選挙でした。

それが今回、返ってくるお葉書がとても少なく、新しいお名前住所をお見かけすることも滅多になく、立ち尽くしてしまうような日々です。もう選挙も中盤なのに・・残った日々を指折り数えると恐怖で背筋がこおります。

先日、ボランティア活動を一緒にしている80歳代の女性を車でご自宅に送ったときのことです。
ご自宅に近づいたので、私は車の中に入れていた「みどりニュース臨時増刊号」を差し出しながら、「県議選ではどなたか応援なさっていらっしゃいますか?」と伺うと、目をぱちくりなさって「えっ?何のこと?選挙があるんですか?」とおっしゃいます。


私は口早に、県議会には50名近く議員さんがいるけれど「女性の視点で立場で」発言をして下さる議員さんは平野議員しかいないこと、そもそも低床電車を熊本に取り入れて欲しいと訴え運動し、導入にいたる原動力になった方であること、などをお伝えしました。4月10日日曜日が投票日なのですよ、と。

するとその女性は「私は足が痛いので、低床電車が来るのを待って乗っている。本当に有難いと思っている。そんなことだったとは全然知らなかった。県議選なんて知っている人も居ないし、足は痛いし投票にいったことは無かった。今度は必ず投票に行きます。いいことを教えて下さってありがとう・・・」とおっしゃったのです。

私は間違っていたのです。「県議選はみんなの関心事、みどりさんのことは殆どの人は知っている」と思っていたのです。県議会というものがあることも、県議選があることも、女性の県議がこんなに少ないことも、低床電車のいきさつも、知らない人は本当に、ほんと〜うに何もご存じないのです。

「誰も何も知らない」ということを基準にすると、会う人一人一人に教えてあげたくなります。一筋の光を、「こんなに素晴らしい県議の存在がある」という事実を告げたくなります。「平野県議が県議会からいなくなってもいいの?」「本当にいいの?」と肩を揺さぶってあげたくなります。

あと7週間。一人でも多くの人に、一枚でも多くの「みどりニュース増刊号」を届けたい。自分の不甲斐なさに歯噛みをしながらも、事務所での選挙は続きます。
posted by つなぐ会 at 13:33| つなぐ会

2011年02月19日

政局よりも政策論議を

雲仙のぞむ

 三寒四温、少しずつ春が近づいている気がします。しかし、政治の世界はどうでしょう。政局云々の報道だけが先行して国民の政治への不審をマスコミがあおっているような気がしてなりません。

 政権交代後、福祉の制度改革は当事者、保護者が検討委員会に入り着実に改革の方向性の整理がすすんでいます。ただ、ネットではリアルタイムで情報公開されているのに地上波のマスコミは全く取り上げません。政局よりもずっと意味があると思うのですが。異なる意見ニーズを丁寧に調整する取り組みはマスコミ的にはおもしろくないのかもしれませんね。

 政局に食傷気味の方は是非下記のサイトをご覧ください。市民参加の政策論議を体感していただけると思います。民主主義は手間がかかりますが、しっかり現場に沿った予算を立てるためには必要な手間だと私は感じています。三寒四温。春は厳しい寒さを繰り返しながら確実に近づくはずです。手間さえ惜しまなければ。

追伸:議事録ができるまで動画配信されています。臨場感を感じるためには早めの視聴をおすすめします。
posted by つなぐ会 at 20:12| つなぐ会

2009年09月20日

東京ディズニーランドの変貌

雲仙のぞむ

仕事の関係でディズニーランドに知的に障害のある子ども達を引率する機会がありました。ちょっとした変化に逆差別論の影響の大きさに驚かされました。
開演当初、車いすを利用する妻と訪れたことがあります。当時は障害者手帳があれば、優先的にアトラクションへのアクセスを提供してくれました。理由は、手帳の割引がないぶん負担の大きさは平等にするという発想でした。同じ金額を払ってもらった以上同等のサービスは提供しますという発想だったようです。確かに障害の特性によっては並ぶのに体力的に体力的負担が大きかったり、見通しがたちにくく、並ぶことでアトラクションを楽しむ前に精神的に不安定になることもあります。そうした特性から生じる差を埋める方策として入場料を割り引くよりも特性から生じる不平等を解消するために、どうするかを考えた結果だったように思えます。この結果、家に閉じこもりがちだった、社会参加に不安を感じる人々の中にもディズニーランドだったら社会参加が保障されるという評判が広がり余暇活動を自信をもって楽しめる一端になったように思います。

ところが昨年訪れた時は、ゲストカードという制度が導入されていて、指定の時間をスタッフがカードに記入し、それまではどこかで時間を使ってくださいということになっていました。それでもその時間は、極力短めに配慮されていました。この間、お茶したりして楽しむことは可能な時間設定でした。
これが今年になると待ち時間が1時間を超えることもあるようになっていました。ゲストカードの制度は、予約した以上その間に他のアトラクションの予約はできません。この待ち時間は、見通しを立てにくい人々にとってはかなりの負担になります。また、体力的に厳しい人々にとってもです。誰にも優しいディズニーランドから頑強な暑い日でも行列に耐えられる猛者達のためのレジャーランドに変貌してきているように思えました。

なぜ、このように変化してきたか、スタッフに旅行代理店の方が尋ねられたそうです。理由は、途中から割り込ませるのは不平等だという強い声があり、変更せざるを得なくなったからだそうです。どんなに支援が必要でも配慮すればひいきしていると思われ、それを説得しようとしない東京ディズニーランドの姿勢に創設者ウォルト・ディズニーは、どう感じているのでしょうか。アメリカの平等主義は「ねたみ」を徹底して排除してきたと思っていたのですが、東京のディズニーには引き継がれなかったようです。「夢の国」が「競争の国」になってきているディズニーランドの姿に「自立支援法」の悪夢が重なって見えてくるのは私だけでしょうか。
posted by つなぐ会 at 18:51| つなぐ会

2009年07月19日

当事者のためにから社会のために

雲仙のぞむ

2009年7月18日、熊本県内の23の団体が力を合わせ障害者差別禁止条例をつくる会が設立されました。
総会の後、JDF地域フォーラムIN熊本が開かれ障害種別を超えて現状の問題点を各人の体験に基づいて報告されました。

印象的だったのは誰もが少数者になり得るということです。聴覚障害者の方の会合に招かれた聴者の方が手話で情報交換が行われる打合会で感じた自分のコミュニケーション障害体験。街灯に税金をつぎ込むことは社会基盤整備の一環だと思いながらも誘導ブロックは一部の人への投資と考えてしまう矛盾。見方を変えると当たり前の権利が少数者というだけで保護の目で見られてしまいます。逆に多数派というだけで当然の権利として考えられてしまいます。

全盲の知人からこんな話をされたことがあります。
「パソコンは音声が出れば十分。しかしノートパソコンは全てディスプレイはセットになっている。」
見える人はディスプレイを特別なものと考える人はいません。しかし、音声読み上げソフトは必要な人のためだけに開発されたと考える人が多いのではないでしょうか。エクセルを使っている人は実はこの恩恵を受けている。セルの読み上げ機能は早くからりました。会計簿などで確かめるには大変便利な機能です。

このように一見、一部の人向けの仕様変更のようでも結果は全ての人の利便性の向上につながります。同じように差別をなくすことは、社会全体を豊かにします。この条例が県民全体の生活の安心を保障するものになることを共有しながら一人一人の主体的な運動としていきたいと思いました。

平野みどり議員には差別の実態の声を議会全体に丁寧につなげていってほしいと思います。
posted by つなぐ会 at 23:39| つなぐ会

2009年05月10日

講演「『障害者』も経済人になろう」を傾聴して

雲仙のぞむ

アメリカにADA法(障害を持つアメリカ人法Americans with Disabilities Act of 1990)というのがあります。
この法律の制定過程を以前、NHKのドキュメンタリーで見ました。法案を推し進めたのは共和党の議員でした。大企業を支持基盤に持つ共和党がこの法案を推し進めた背景には、ベトナム戦争をはじめとするアメリカが関わった戦争で障害を持った人々への保障の課題があったようです。本来、彼らが持っている力を十分発揮できる場を国は、提供しきっていない、というのが趣旨だったように記憶しています。

もちろん公民権運動の歴史も大きく影響しています。しかし、つなぐ会の総会で東弁護士が指摘されたように憲法は人々の平等をうたっているのに障害を持つことだけで除外されているのが現状です。アメリカも人種、宗教、性別、・視点から差別を禁止する法律は作られてきました。しかしそのいずれも障害者が除外扱いにされてきていたようです。


このような状況の中で、法案を中心に推し進めたドール議員自身も戦争に従事して障害を持っていました。彼は、障害を持つ人々を「保護」の対象としてしか考えていなかった法案成立以前の予算と、障害を持つ人々に就労の権利を保障した場合の差を具体的にシュミレーションしながらいかに障害を持つ人々を経済活動から排斥することが不合理であるかを立証していきました。

ダウン症協会主催の標記の講演会に参加して、ふっとこの事を思い出しました。

今回の講演者の中島隆信さんは経済学者です。(障害のある子どもさんがいらっしゃるということでしたが、そうした状況にあっても客観的な立場にたって考えなければならないと考えられていました。)指摘された中で、福祉だけはサービスの受け手と支払者が異なっていたことをあげられました。旧法では、行政が措置された施設に必要な経費を支払っていました。こうした仕組みはサービスの受け手の利用者(消費者)でなく支払者の行政の考えを気にするようにしていたといいます。受益者負担など別の意味で制度改正は問題を生みましたが本来の発想はサービスの受け手が直接提供者を選ぶというところにありました。福祉のことが福祉関係者のみで語られるのではなく、経済の視点から語られることは福祉の一端に職を得ている私にとって非常に斬新な発想が聞けて有意義でした。


私は、障害をもつ生徒達がいかに働くか、働ける場を広げていくかが気になっていました。しかし、生産者である前によき消費者であれという中島さんの考えに自分の対処療法的な発想の未熟さを反省させられました。


「賢い消費者になるためには勉強しなければならない」それは、消費者が育っていない業界はいい事業と悪い事業があったとき評価するシステムが出来ていないからだと言われます。


観光地が楽しいと思えるのは観光地に関しての知識があった方がよりよい。確かに大河ドラマの舞台となったところは観光地として大盛況です。地元にとっては普段見慣れた風景でもその歴史的背景が視聴者に学習されれば日本中に見たいと思う人が出てくるのですから。(ちなみにかつて武蔵が放映されたときはわずかラスト15分くらいしか出番がなかった熊本も県あげての大騒ぎでした。今も武蔵というロゴをつけたタクシーが走っています)

芸術を評価できる人がいなければ芸術かは育たないといわれます。どんなに立派な演劇場やコンサートホールや美術館をつくってもそこでの催し物の質はその消費者によって規定されます。確かに絵画の見方等丁寧に学習していない私など、ピカソやシャガールなど有名な画家の展覧会にはその名前にひかれて観に行くことはあっても、自分の生活の中に絵画の楽しみ方が定着してはいません。結果あまり聞き慣れない作家の展覧会には時間があっても足がむきません。自分で鑑賞しているのではなく名前で鑑賞していたんだなあと反省させられました。

どこの産地かラベルを見て買うことで安心している消費者。食品偽装そのものは確かに悪いのですが、消費者行動がこうした事業を推し進めてきたことも事実です。安いものを追い求める消費者がおおくなれば単価の安い海外からの輸入に頼る。食の安全が不安になると国内産を求める。国内産で安くとなると偽装してでもとなる。こうした動きに対して生協の中には生産者と連携して消費者に適正価格で提供しようとする所もあります。

「消費するために働く」この事を教育の中でやりきれているか、反省させられることしきりでした。様々な作業班が特別支援学校にはあります。働く力をつけるという目的で、様々な取り組みが行われています。ただ、生産者、売り手としての体験を保障することに終始していなかったか、考えさせられました。自分だったらどんな花を買いたいか、どんな茶碗が好きか、どんな財布だったら買うか・・・こうした消費者としての基本的な教育のもとに学習を展開する必要があるように感じました。

また障害をもつ人々は福祉の消費者でもあります。どんなサービスがあって、どんな使い方ができるのか、今足りないのは何か、そうした視点での教育も必要です。

経済学から福祉を分析していただいた今回の講演で消費者教育の必要性を強く感じました。これは教育だけの課題ではありません。県民が質の高い消費を求めていくことで熊本県産の質も高まります。熊本の農業、観光、教育、工業、流通・・・様々な分野の質の向上のため賢い消費者を増やさなければなりません。そのための情報提供のあり方を行政と市民とともに考える場を、県にも是非つくってもらいたいと思います。
posted by つなぐ会 at 10:06| つなぐ会

2009年05月04日

グラントリノに込められた思い

雲仙のぞむ
連休は書類の整理の合間に見た映画「グラントリノ」にほろりとさせられました。
まだ、上映中ですのでネタバレしない程度に感想を一言。

主演はクリントイーストウッド。私には小さい頃見たマカロニウェスタンのイメージが強かった彼が80前後の高齢者のを演じていて時の流れの速さを感じました。朝鮮戦争従軍経験のある元フォードの熟練工という設定です。矍鑠とした高齢者を演じています。


細かいところは是非見ていただきたいのですが、私は倉庫にきれいに整備された工具に心惹かれました。未曾有の経済危機とその原因をアメリカの消費が冷え込んで世界が景気低迷期に入ったと政治家は自分たちの責任を棚上げにしています。しかし、原因はアメリカの消費低迷ではありません。実態のないマネーゲームのつけとそれを促進し続けた政策だと思わざるを得ません。映画ではアメリカのものづくりの良心のシンボルであるかのようにフォード社のグラントリノが位置づけられています。不良少年グループも、彼が理解しがたいと考える孫娘もどんな立場の登場人物もグラントリノの価値を見いだしています。丁寧に磨き込まれ整備されたグラントリノは、全ての人にその良さを感じられる車として存在しています。


ものづくりの大切さを知る彼は長い年月かけて工具をそろえてきました。異文化の人々との出会いに最初は戸惑いながらも家の修理や調理といった互いのものづくりを通して心を許していきます。グラントリノと対照的にトヨタ車はセールスで顧客を広げるのに忙しい彼の息子の会社として、不良グループの乗っている車がホンダ車だったりと日本車は、けしていいイメージでは描かれていません。自国の車を大切にしなくて、なぜ外国車をあえて買わなければならないのか、そんな声が聞こえてきそうです。


日本も同じではないでしょうか。国際競争力という暗示で労働者は安価な雇用契約を求められ、熟練という言葉がないがしろにされてきました。技術の伝承より錬金術的なマネー操作がもてはやされ、会社にとって本当に必要な技術力が失われていきました。土地神話でのバブル経済が企業の資金力を奪ったように、雇用契約の流動化がものづくりの原点である技術力を奪ってしまったのです。アメリカ車はアメリカ人の技術が日本車には日本人の技術が込められています。国際競争力はその技術の競い合いだったはずです。いつの頃か国際競争力の名の下にその技術の安さが問われるようになりました。ものが貴重だった時は、その技術に、作成にかかった時間に、私たちはお金をはらっていました。それぞれの国では技術者が尊敬の念を持って受け入れられたいました。

家の樋や乾燥機を修理したりものを大切に活用し続ける精神と技術は全世界に再評価されなければならない価値観であるように思います。


貧困と反社会的な行為を撲滅するためには、ひとりひとりがそこから抜け出す技術を身につけることが必要です。またその技術を正当に評価する社会の価値観と仕組みが必要です。そんな声が映画全編から聞こえてくるようでした。
posted by つなぐ会 at 14:00| つなぐ会

すべて国民は、健康で文化的な最低限の生活を営む権利を有する

雲仙のぞむ

昨日、憲法記念日の日行動「憲法と生存権を考える」に参加し、熊本ホームレス自立支援の会からの状況報告を聞かせていただきました。
憲法はその第25条で生存権および国民の社会的進歩向上に努める国の義務をうたっています。
しかし、派遣切りに象徴されるように格差社会は急速に広がっています。この25条の精神は果たして守られているのか、国は憲法を遵守しようとしているのか、疑問に思われる施策がどんどん行われています。

ホームレスの人々には定額給付金の申請書がとどかない、「資源物持ち帰り基本条例」によって生計の糧となっていたアルミ缶による収益が大幅に減少している、等行政の施策のあり方を当事者、当事者支援者の視点から掘り下げられました。


日本国憲法は、世界に誇れる平和憲法です。平和であることは単に戦争がない状態だけをいうのではないことを憲法には書き込まれています。それは、多くの人々の血と汗の結晶です。戦時中私たちの先輩達は、戦争、生活苦、言論弾圧のなかにあってこの世界にまれな平和憲法を生み出したはずです。


かつて「格差」は政治家にとっては自分たちの力量不足を問われる恥ずべき現象でした。しかし、あの郵政選挙で「格差」を公言して推し進める政治家が脚光を浴びて政界になだれ込んでいきました。構造改革の名の下に大企業を優遇した政策はどんどん進められ、地方自治体は権限も金も削り続けられ、受益者負担の行政システムを押しつけられ、ほころびがでるとそれは地方の問題だと国は知らん顔をする。派遣労働法を決めたのは国です。体調を崩せば、解雇、家賃支払いができなくなり、住む場所を追われる、こんな不安定な雇用状態を作り出した責任を政治はどう解決しようとしているのでしょう。イギリスでは失業者や若年層の雇用創出のため税金を職業訓練に活用しています。先の資源物の問題も資源物回収の仕組みにホームレスの人々の生活支援の観点を入れられないのだろうか素人目にはおもえます。回収の一部を委託するなど、工夫はできるはずです。報告された支援の会の事務局の方は熊本ならではのモデルを作る事が必要ではないかと訴えられました。たとえば、農業県であるので農業就労などを通して生活を支援していく等。


財政難の中で全ての市民が憲法がうたっているような「健康で文化的な」生活を安心して営めるための政策を県段階でも推し進められるよう平野議員には奮闘していただきたいと思います。
posted by つなぐ会 at 12:48| つなぐ会

2009年04月26日

投稿: お姫さま見つけ〜!女性議員サミットin ぐんま

Virgo

群馬、高崎で第五回目女性議員サミットが開かれ、私は第三回女性議員サミットが熊本で行われた折に10ヶ月にわたって関わったので、その後この趣旨の発展行く末に強い興味があり、411,12日と行って来ました。
当時実行委員として「中身」の運営に心血を注いだ2人の友人と一緒に行きました。

途中の飛ぶように過ぎる(東京駅から新幹線です)車窓に、やさしいピンクが消えては現れ、また現れ消え・・・

空港で買った空弁(そらべん)を食べながら新幹線の座席で満開の桜を見る、カラになった口から順にしゃべるという、ある意味どこでやっても一緒という、奥深いたびを今回も楽しんだのでした。

サミットの中身は、とても簡素でシンプルなものでした。主催の山崎紫生さんの理念が、はっきり分かるパネリストの顔ぞろえ、お金を出来るだけかけないというパンフレットの手作り感、懇親会を盛り上げた「群馬交響楽団メンバーのカルテット」の素晴らしさ(「ここに泉あり」で有名になりました・・あぁ・・歳がばれそう)私と同行の友たちはため息をつきました。「熊本のときも本当はこれでよかったのよねぇ」2000年当時の熊本サミットを思い出します。潮谷知事が誕生して、「熊本に女性知事誕生!」という宣伝をしたかっただけ、と受け取られただろうなぁ。

結果的には、それで出会ったご縁や深まった絆もあったにせよ(その中でミドリさんは光ってましたよ!)その後の熊本県の男女共同参画に「何かあったの?何か変ったの?」と考えると、壮大なバブルの無駄遣いだったかも・・・・・と複雑な思いを抱きます。

残念ながら私は出席できなかったのですが分科会の中には「女性議員が増えると、社会はこう変る」というのがあり、そのコーディネーターは現職の全国町村議会議長会議事調査部長、千代田区政務調査会費審査会長、市町村アカデミー講師、山梨学院大学ローカル
ガバナンス研究センター客員研究員、などなど肩書きは書ききれないほどですが、岡本光雄さんという男性です。その方の主張は「議会の活性化は女性議員を増やすこと」と一直線です。議事録を読むのが楽しみでたまりません。

一日目のメインは各党、及び無所属の女性国会議員によるシンポジウムでした。皆さん党を背負った女性の主張は立派で(小渕優子氏も)男女共同参画が何故必要か、自分の骨身に沁みて、それは沖縄であったり、子育てであったり、介護であったり、就職であったり、家庭内のことであったりきづきを経た人、何かをよりよくしたい人の発言だったのです。

その中にAKというなりたての参議院議員がいました。彼女の発言は終始一貫して「私は女性だから当選したわけではない」「私を応援してくれたのは意気に感じた男性、年配の男性が多かったから、私はその人たちの意見を無視するわけにはいかない」「私は女性だからといって不利を感じたことはない」「女性だからといって皆さんと一緒にされても困る」「集会をしても女性は隅っこに固まっていて一言も発言しない」「そういう人たちを代弁できるものではない」討論ではなく、時間制限つきの言いっぱなしで、順繰りに彼女の番が来るたび不満の囁き声が会場に満ちました。

あ〜れ〜、誰かきて〜。彼女の場合、ガラスの天井もないのかもしれない。そもそも男女共同参画は女性の問題、という男視線のままなのでしょう。
言ってやりたかった。政治家って、他の人の痛みを感じて動くものでしょう?選挙の支援者に女性の姿が見えなかったから、女性のなげきは知らん顔?やっぱりあなたはお姫様ね、家老たちに囲まれた箱入り状態はいつまで続く?「みどりさんとこにインターンにいらっしゃい!」と喝を入れたい、と心底思いました。
でも、せっかくの機会をあれだけ多くの女性たちと共有したのだから、あと5年ぐらいある任期の中、いつか気づいて欲しい。私たちの期待のわけ、落胆のわけを。
posted by つなぐ会 at 11:21| つなぐ会

2009年04月18日

阿蘇くまもと空港のバリアフリー化の落とし穴

雲仙のぞむ

今日妻を空港に送っていった。妻は車いすを使っているため送迎用に一時停止できるエリアが使えない。そこは下車する人の安全を確保するため道路より一段高くなっている。そのため車いすの前輪が段差に入り込んで使えない。空港ビルの入り口際はバスや送迎タクシー用に確保されていて使えない。以前段差のないビルの手前でおろそうとしたら
「そこは駐車禁止です。速やかに移動しなさい。」
とアナウンスされてしまった。結局わずかな時間だが有料駐車場に車を入れ障害者スペースで降りてもらう。県は空港の駐車場に車いす用スペースを大幅に拡張したと以前胸を張ってPRしていたが、送迎スペースには何ら配慮がない。

なぜ、こうした整備の時、社会的弱者の事を一番に考えないのだろうか。格差はこんな所にもはっきりと残っている。差別禁止法は法の制定を待つのではなく、その精神を持って幾多もの創られてきた障害者に対する格差を是正することから始めなければ意味がない。
平野議員には当事者議員として是非こうした視点で行政のあり方を追求し続けてほしい。
posted by つなぐ会 at 15:59| つなぐ会